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「孝行猿」

2016年 1月 8日

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今年の干支は「」。

ということで猿にちなんだ話題を1つ。

 

先日伊那長谷村の入野谷で「孝行猿」という話を知りました。

長谷村というとゼロ磁場で有名な分杭峠の登り口になります。

村には次のような民話が伝わっているとのこと。

 

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昔、山奥のある村に勘助という腕利きの猟師が住んでいました。

冬のある日、猟に出かけたものの兎一匹も捕れませんでした。

諦めて帰ろうとしていたとき、木の上に猿が一匹いました。

他に獲物もないため手ぶらで帰るよりはよいと思い火縄銃で仕留めました。

帰り際に後ろで悲しげな猿の声が聞こえましたが、あまり気にもせず家路につきました。

家に戻り、仕留めた猿の両手両足を縛って囲炉裏に吊るすと、

皮は翌朝剥ぎ取ることにして、眠りにつきました。

 

夜中に物音に気付いて目を覚ますと、隣の部屋との隙間がかすかに明るく見えました。

隙間からのぞいて見ると、どこから来たのか、囲炉裏の周りに子猿が3匹います。

一匹が囲炉裏の火で手をあぶっては、四つん這いになった二匹を踏み台に、

吊るされた猿の傷口に手を当て温めていました。

勘助が撃ち殺した猿の子供たちが、親猿を何とか生き返らせようとして、

囲炉裏と親猿の間を行き来していたのでした。

それを見た勘助は、自分の隣で寝ている息子を振り返り、

子猿たちから母親を奪ってしまった罪の重さにいたたまれなくなりました。

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「ああ、昨日帰りに鳴いた猿は、この子猿たちだったのか」

どうにかして親猿を生き返らせたいと、夜中に一生懸命に手当てしている子猿たちを見ていると

健気に思えてなりませんでした。

 

「私は、生計を立てようとして、なぜこんなに情けないことをしてしまったのか」

と先非を悔いました。

子猿たちは、夜明けとともに山へ去っていきました。

 

親子の愛情に深く心を打たれた勘助は、夜が明けると、親猿を背負って裏山に登り、

大きな一本松の木の根元に葬って手厚く親猿の霊を慰めました。

勘助は、猟師として生き物を殺してきた過去の非を後悔して、猟師を廃業しました。

そして、頭をまるめ一心不乱の念仏者になり、諸国行脚の旅に出たといいます。

(出典「長谷村誌」による)

 

親を思う心ということで、古くは明治時代に修身の教科書に、

戦後では道徳の教材に使われていたようです。

親孝行」についてはいくつかことわざがあります。

例えば「親孝行したいときには親はなし

親が亡なくなってしまえば親孝行はできないので、

親が生きているうちに親孝行をしておきなさいという。

ただしそれでは完璧ではないという話を聞きました。

「一番は、親が生きていてなおかつ健康で元気でいるうちに

親孝行をしなさい」だそうです。

確かにそれは納得です。

 

 

 

 

 

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